中山太郎
自民党
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太郎の一言 中山太郎の一言を紹介いたします
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中山太郎
自民党が月に一度、外務大臣経験者などを講師に招いて開催している国際局セミナー「議員が読み解く国際政治」。そのトップバッターとして中山太郎議員が講演を行いました。

※自民党メールマガジン「New Packet」のVol.302〜Vol.306に掲載された内容を転載します。
議員が読み解く国際政治中山太郎元外務大臣
世界の流れを知るあの湾岸戦争は、なぜ感謝されなかったのか

【世界を知らずして】
私の出身は大阪で、参議院で3期務めた後、衆議院に転じました。 その衆議院に移ってから、一番関心を持ったのは国際問題です。 私がいつも、“日本人は果たして世界を知っているのか”と感じています。 皆さま方の中で“俺は世界をよく知っている”という方がいらしたら、ちょっと手を挙げてみて下さい。ほとんど存じないと思います。 私も全部知っているわけではありませんが、だいたい知っております。

なぜ、日本人は世界をあまり知らないのでしょうか。 私は、一番問題があるのは日本のNHKだと思っております。 NHKを見るよりも、英国の国営放送BBCを見ている方がはるかに世界の流れが早く読める。 日本は島の国ですから地続きの大陸のように、よその変化を人づてに聞くことはなかなか難しい。そういう国では、電波を使って、国民にわかりやすい形で ニュースを流していくことが、国民が自分の国の政治の正しいあり方を判断するよすがになるだろうと思っています。 だから私は、国会が終わって議員宿舎に帰ると、BBCのニュースを必ず見ています。 こういうことが、いまの中学生レベルまで行き渡れば、私は日本の国際感覚は もっと変わって来るだろうと思っています。

なぜ私がこういうことを申し上げるかというと、世界を知らずして、己の国は 成り立たないというのが原則だからです。私も昔は知らなかった。 しかし知ってみてつくづく思うことは、もっと知りたいということ。

私の母は亡くなりましたが、長崎のミッションスクールを卒業した後、米国のオハイオ・ウェズレヤン大学(ミッションスクール)に6年いて、日本に帰ってきました。戦後初の女性大臣になった中山マサが私の生みの親です。 母は米国の生活をして、「米国人というのは色々なことを考えている」と言っておりました。 戦争に入っていく昭和の日本の姿を見て、「これはえらいことになる。米国と 戦争をすれば日本は負けるに違いない」とも。

そして、私の父・中山福蔵はその頃、衆議院議員として、東条政治に反対をした立憲民政党の政治家でした。 結局、政党解散後に大政翼賛会ができましたが、大政翼賛会には参加せず、最後まで「戦争をやれば日本が潰れる」と言い続けて、戦争時代を送りました。

【湾岸戦争勃発】
こういうことを考えながら、最近つくづく思いますのは、世界が大きく動いているということです。特にアジアが激しく動き出しました。 中東は、米国のアラブ政策、イラク戦争で大きく変わった。 私が外務大臣をした初期、ちょうど海部総理が政府の親善旅行としてアラビア諸国に訪れる準備をしておりました。 その時、イラクのクウェート侵攻が起こったのです。

外務省から総理に、「大変な事態になる可能性がある。その時に総理大臣が国を離れていては、判断を間違う恐れがある」と言って、総理はその旅行を中止。 そして私が「代わりに回って来い」と指示され、湾岸諸国を回ることになったのです。 私はアラブ世界に行くのはその時が初めてでした。 出発の前に外務省からアラブの詳しい状況説明を聞き、海部総理が乗る予定だった飛行機に乗り旅立ちました。

空の上から見るアラビア半島は、真っ赤な土の大陸のようで、最初に降り立ったのはサウジアラビアのジッダ空港です。 ところが、戦争をやっている雰囲気は全然ありません。軍服を着た人もいない。 日本の企業はどんどん引き揚げていましたが、ここは日本で言われているような、戦時状態の雰囲気は全くありません。

私が飛行場に着いた時に出迎えてくれたのは、サウジアラビアの外務大臣で、 私に会うなり、「ようこそ、いらしていただいた。今朝自分はニューヨークから帰って来たところだ」と挨拶をしながら、「今晩、国王がお目にかかる予定です。 ホテルで連絡がいくまで待っていただきたい」ということでした。 そしてホテルで夕刻から待っておりましたが、なかなか王室からの使いが来ません。 結局、使いが来たのは、夜中の11時半でした。

そこで一緒に車で王宮に行きましたが、王宮までの道はアスファルトが立派に しいてある道路で、煌々とした街路灯がついている。 どこに戦争が起ころうとしているか全くわからない。 王宮に着いたのは12時でしたが、女性は1人もおらず全員男性でした。 そして王様の部屋に案内されて、それから1時間半話をした。 夜中の12時から始まる会談で一番感じたことは、“全然風土も違うし民族も違うところに来て話し合いをしているんだ”と いうことでした。

それがどういう結果を及ぼすか、非常に大きな問題です。 王様と話している時、王様の弟(皇太子)が私に言われたのは、「日本の自衛隊を派遣してもらいたい」ということでした。 私は「日本の憲法では自衛隊を海外に派遣するのはもちろんのこと、武力による威嚇もしてはならない」と伝えました。 そして、武力を国際紛争解決の手段としてはならないという憲法の条項も紹介して、「日本としてできることは、負傷者の治療、あるいは輸送の協力、水の提供ということです」と申しましたら、「それで結構だ」ということになりました。 それで私はサウジでの話をすぐに東京に連絡しました。

続いて回ったのがエジプトでした。 エジプトのムバラク大統領は休暇で、アレクサンドリアという地中海の夏の保養地に出掛けていたので、次の朝、そこに訪れました。 すると会談でムバラク大統領は、「イラクのサダム・フセインはパラノイアだ」とおっしゃいました。「パラノイア」というのは「偏執狂」という意味の 医学用語です。

とにかく相当変わっているということですが、「我々はエジプトから戦車を大陸に運ぶ必要があるので船舶が必要だ」という話をされたことを、いまだに記憶しております。 そのエジプトから、イエメンの隣の国で、アフリカからインドに行く通航路に あたっているオマーンという国に向かいました。 そこでも大統領と色々話をして、「輸送が一番大きな問題だ」ということを 聞きました。

その後、帰国し外務省の幹部を集めて状況を報告。 どういう政策でこれからやっていくか、政府の意見を統一しなければならないと意見交換し、官邸に行って首相に報告しました。  

【奮闘と屈辱】
これが最初の湾岸戦争での外交折衝でした。 早速、政府は医療品の提供、負傷兵の治療、水の提供、輸送の協力をしようと方針を決めました。 まず医療の協力ですが、医療には医師及び看護士が必要ですから、国立の病院に政府の名前で要請することとし、国連局長・赤尾信敏が担当しました。 しかし、“私が行こう”と申し出てくれたのはわずか4人でした。 そのグループをサウジに派遣したんですが、医療隊の要求は“戦争が勃発する可能性のある国境線から600キロぐらい離れた病院で協力する”ということで、サウジアラビアの政府は予想外の展開に驚きました。

それでは野戦病院には派遣できない。普通の診療所の許可を与える以外に方法はないと、結局この医療協力は不成功に終わりました。 人がいないわけです。第二次の医療隊を募集しましたが集まらない。 結局、残念ながら国際的な紛争に対処する心の準備が日本にはできていなかったということです。 そこで私は「この予算は打ち切る。こんな馬鹿げた計画に国民の税金を使うわけにはいかない」と22億円の予算を20億円残して切りました。 もっとほかの有効なことに使わなければならない。そこで今度は人を運ぶことを考えたわけです。

フィリピンは看護士あるいは介護士、医師が中東地域だけで100万人ぐらい 出ていて、ものすごい人数を世界各地に提供しています。 その普通の労働者を中東地域から本国のフィリピンまで運ぼう。 そこで日本航空の社長に電話をし、全日空にも電話をしました。

全部答えは「ノー」でした。なぜかというと、まずパイロット組合が「そんな危険なところには俺たちは行かない」と言ったからです。 そこで労働組合を抜けたパイロットのシニアの人たちが「飛んでやる」と言ってくれたんですが、整備員組合が「自分たちは行かない」と言う。 飛行機というのはパイロットだけでは飛ばないんですね。私もその時初めて知った。整備員がいて、パイロットがいて、飛行機の機体がないと飛ばない。 そこで結局、日本の飛行機を使っての人の輸送はできないということになったわけです。しょうがないことですが、このままだと世界的には恥を掻きます。 その点、米国のエバーグリーンという会社の飛行機は、どんなに弾が飛んできても飛んでいくんだそうです。 そこに要請して協力を求めることで日本の名誉を保ったわけです。 とにかくいろいろなことがございました。

医療の協力も不成功、人の輸送も難しかったわけです。 そういうなかで国会では、外務大臣は野党からきりきり舞いの質問を受ける。 たとえば、「あなたは憲法何条に基づいてそういうことをしようとしているのか」とか。 こちらが「国連加盟国として、国連決議に基づいて要請に応じて協力していこう。 ただし大砲を撃ったり鉄砲を撃ったりするんじゃない」と言っても、野党は一つの仮説を立てて、「相手が攻撃してきたら自衛隊はどうするのか」と言うわけです。 「憲法9条には“武力による威嚇または武力の行使はしてはならない”と書いてある」「その時は後ろの方に引き揚げなければしょうがない」そういう答弁を国会ではせざるを得ない状況でした。

日本として戦後初めて経験した国際紛争に国連加盟国としての協力ができなかった。 誠に残念な思い出の一つです。 イラクの最後の軍隊がクウェートから引き揚げた時に、クウェートは米国のニューヨークタイムズに「感謝」という言葉で協力した国の名前を35カ国全部 並べました。

そのなかにJAPANは入っていませんでした。 つまり、相当な金を出したのに、相手の国は何も感謝していなかったということです。 結局、米国の戦費の一部を肩代わりせざるを得ない状況になった。 これが国際社会です。

【イスラエルとユダヤ】
私はその時つくづく思いました。 いったい日本のアラビア外交はどうなっているのか。 外務省にはほとんどアラビアの専門家はいませんでした。 これは海洋国家として一番の欠点だったと思います。 特に私は宗教の戦いがこんなに激しいものだということがわからなかった。

しかし、一年後にイスラエルを訪れてみて、初めて聖地を奪い合う人たちの姿を目の当たりに見たわけです。 ご案内のようにイスラエルのパレスチナは1945年までは英国の植民地でした。 しかし、英国は反乱の人たちを持て余し、領有権を破棄して国連に寄託しました。 国連がやがてユダヤの国とパレスチナの国に二分割してできたのがいまのイスラエルとパレスチナなのです。

実は私は外務大臣として初めてイスラエル公式訪問を行なった男です。 なぜ、それまでイスラエルに日本の外務大臣が公式に訪問できなかったかというと、外務省が反対し経済界が反対したからです。 なぜなら日本の外相がイスラエルに行くと、アラブからのバッシングを食らって日本の工業製品がアラブに輸出できなくなる。当然付加価値の高い工業製品も出せなくなる。それを怖れてイスラエルへの日本の外務大臣の公式訪問を外務省は認めなかったのです。 ですから、訪問した時は大変な歓迎をしてくれました。

「嘆きの壁」にも行き、聖地を回ってみて、“なるほどこれがいわゆる信仰の戦いか”と肌で感じました。 そういうことを経験した日本人は非常に少ない。 ここを見ずに、中東地域の紛争の背景は読めません。 私も行ってみて初めて分かりました。 言葉では「ユダヤ教の原典」とかいろいろなことを外務省の役人はいいますが、やはり現地を押さえないとわからない。 それを一番よく知っているのは英国ではないでしょうか。

英国の首相、チャーチルは若い時に海軍大臣をやりました。 1890年代終わりですが、英国の軍艦は石炭から石油に内燃機関を変えるわけです。 その時に油田を押さえたのが英国です。 だから英国の会社はアラビア半島のほうぼうに油田を持っている。 「アラビアのロレンス」という有名な映画がありますね。 昼は灼熱の土地で夜しか人は出てこない。 そこでジュースを飲み、酒は一切飲まない。そして唯一の神を信じている。 私が三度目にイスラエルを訪れたのは憲法調査会長の時で、イスラエルの憲法を調べに行きました。イスラエルは首相公選制をやった国です。 小泉さんが首相公選制を言い出したものですから、唯一実験していた国である イスラエルに行ってみました。

イスラエルの人たちが出てきて言うのは、「絶対に首相公選制はやってはいけない。 イスラエルは憲法改正をして大変なことが起こった」ということでした。 向こうは日本のように衆参両院がない一院制です。 一院制で首相公選をした場合、国会議員への投票権と首相に対する投票権が二つになる。首相公選では一票を全国的な有名な候補者に投票する傾向が強い。 もう一票は地元の地域に有利な人に投票する。

首相の所属する政党と地元の国会議員の所属する政党が違った場合、国会は一院制ですから、首相に反する議員が増えてくると派閥をつくって閣僚ポストを要求する。 これでイスラエルは5年間やって懲り懲りして、もう一度憲法を改正して首相公選制を廃止したそうです。 イスラエルの国政選挙には米国から多くの選挙資金が送られています。 米国にはたくさんのユダヤ人協会があり、特に金融界のユダヤ人のグループが 祖国に政治資金を送る。だから米国とイスラエルは強い絆で結ばれています。 これだけ激しい戦いが起こっていますが、背景にはそういうものがある。 私も話を聞いてびっくりしました。 日本にとってユダヤ人はどんな存在でしょうか。

私の地元、大阪の浜寺というところには、日露戦争の時にロシア人捕虜が2万9000人いた。愛媛県松山市にもいました。 その日露戦争の時、日本には戦争の資金がなく、高橋是清・日銀副総裁(のち総理、蔵相)がロンドンに行って、ロンドンの金融界で日本の国債を売ろうと するわけです。しかし、こんな小さな島には何も取るものもないので売れない。 売れなかったところにバンと半分買ってくれたのがユダヤの金融業者でした。 日本を助けたわけです。

アメリカのユダヤ人グループが日本の国債を買って、その資金で日本は日露戦争に勝った。そういう歴史の一端もございます。 ユダヤ人の影響力は世界中にあります。 私が外務大臣の時、ロシアとは冷え切った関係でしたが、訪問することになりました。どこに行ったら一番政治対立がないかと考え、ロシア正教会の本山に乗り込んでみようと思いました。

当時、上智大学に宗教学の先生がおられましたので、その先生に「日本の外務大臣がロシア正教の本山に行ったらどうなりますか」と尋ねたんです。 そうしたら先生曰く、「いらっしゃい。日本の外務大臣がロシア正教会の本山に来たということはロシアの末寺にまで全部伝わる。それは日露関係の好転に 少しはプラスになる」ということでした。 その後、毎年のようにロシアを訪問する機会がありますが、いまロシア全国に ロシア正教会がどんどん建っています。 それは、お坊さんの数が足りないぐらい驚くべき数です。

こういうことを考えていきますと、欧州の統合も分かると思います。 欧州連合ができた。なぜできたのか。かつて2回も大戦をやったフランス、ドイツが中心になって欧州の15ヶ国を一つの連合にまとめた。 いまは25ヶ国です。そこまでまとめた背景には宗教が関係していると私は見ています。全部キリスト教です。 このように宗教と政治の関係も見逃してはいけません。

【自国の方向性】
私の一つの夢はアジアに欧州連合のようなものができないかということです。 ハバロフスクで会議があれば、日本や中国、韓国からも行きます。 なんとかこの地域に共同体をつくれないか。しかし、宗教が違うんですね。 アジアで共同体ができる上では宗教問題がある。日本は多神教の国家です。 フィリピンはキリスト教ですが、ミンダナオ島まで下りますとイスラム教になります。

マレーシアもイスラム教。シンガポール、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナムは仏教です。韓国はキリスト教が多いですね。 宗教が多極化している。一つの宗教のもとにみんなで平和を創ろうという話し合いはこの地域では難しい。 こういう問題も今日は皆さん方にご理解していただければ、アジアを読む時にプラスになると思います。 私はいま、いろいろな国との議員連盟の会長をさせていただいておりますが、 私がいま力を入れているのがインドです。

国民の世論調査をすると、世界中で日本が一番好きだという国民はインド人です。インド人は日本が大好きなんです。 あそこには有名なガンジーがいました。 インドの人口は10億5000万人。親日教育をやっているし、世界のソフトウェアはほとんどインドから来ています。 このようにアジア全体を見ても、いろいろ種類の違う国があるわけです。 われわれは自分の国の行き方を考える時に、世界がどちらを向いて動いているかということをよく知ってから舵を切らなければならないと私はいつも思っております。 この間、フィリピンに呼ばれて久しぶりに行ってみました。

デベネシアという下院議長が私に「今度アジアの会議を開く時は東京でやってはダメです。あれは米国の小型のようなものだ。奈良でやりなさい。 昔の大陸からのいろいろな文明、文化がここに生きているということをアジアの人たちに示せば見方が変わってくる。東大寺を見て、法隆寺を見て奈良の都を見ればそれはよくわかる」と言われました。 こういう言葉もみなさんにお伝えしておきたいと思います。 それほどアジアもいま新しいものを求め始めている。 地域共同体も求め始めている。これをうまく処理すれば、日本の未来は明るく なってくると思います。昔、そういう考えをマレーシアのマハティール首相も 持っていた。

彼はEAEC(東アジア経済会議)構想を日本に持ってきましたが、その時、米国のベイカー国務長官は猛烈に反対されました。 「ここでこれをつくられたら太平洋に線を引かれる」というのが米国の言い分でした。そして「日米同盟の中で日本はどうするのか」ということを日本に言ってきました。 このように経済圏をどうするかという問題も一つ存在しているわけです。 それから軍事基地も大きな問題です。 フィリピンでは“外国軍隊の駐留を認めない”と憲法に書いてあります。 ところが現実には米国の軍隊が入っている。 それはミンダナオ島にイスラムの過激派がいるからと、上院はそれを認めているわけです。フィリピンもそういう悩みを抱えている。 しかし、フィリピンと日本との間には最近、自由貿易協定ができました。 シンガポールやマレーシアともできました。そうやって経済圏も大きくなってきた。 我々の小さい国が我々の優れた頭で考えて、これからどのようにアジアで生きていくか。 これさえ上手くやれば日本の未来は新しい時代が来るんですが、残念ながら言葉の問題があります。英語を勉強しなさいと私が言っているのはそれです。アジアの各国のエリートはいまみんな英語です。

中国も英語、ロシアも英語です。 自分の専門の領域で日本語でしゃべるように英語で議論できるような日本人を たくさんつくれば、この国はアジアでまた覇権を樹立することが必ずできます。 工業力があり、教育水準はこの頃落ちていますが、まだまだしっかりしている。 これからの日本はまず徹底して英語が話せる日本人をたくさんつくること。 そして日常の世界の変化を英語の放送を通じて理解するという教育をすることです。 そしてその人たちが堂々と自分の専門の領域で、米国人であろうと、英国人であろうと議論ができるような日本人に仕立てることです。 そうすればこの国の活力は何十倍にも増えていきます。

いまコンピューターのソフトウェアもインドがつくっている。 米国で夕方仕事をした後、メールで注文をインドに送る。次の朝、時差を利用してインドで制作したものが米国の会社にメールで届く。そういう時代です。 それらを踏まえて、日本の外務省も政治に携わる者も、絶えず全体を見ながら 自分の国の方向をしっかり立てていくことが大事な時代が来たのではないかと 私は考えております。(完)
 
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